The Jason Winters Story
余命 3ヶ月と診断された末期癌患者、ジェイソン・ウィンターズは手術を受けることを拒み、ハーブによる治療を求めて世界中を旅した。今、彼は病から完全に回復し、癌と戦う人々や、またこの恐ろしい病気を避けたいと思っている人々のために、彼の経験を役立てようとしている。 イギリスの労働者階級の家庭に生まれたジェイソン・ウィンターズは、17歳になるまで、車に乗ったことも、レストランで食事をしたこともなかった。しかし、彼には夢があり、1947年にカナダのサスカチュワンへ移民し、農場で働いた。その後、彼はブリティッシュ・コロンビア州北部へ移り、樵をしたり鮭の養殖場で働いた。 冒険を求めて、ジェイソンは熱気球でカナディアン・ロッキーを越えた。カナダの100周年記念祝賀の際には、アレキサンダー・マッケンジー卿の足跡を辿ってマッケンジー川をカヌーで下り、2000マイル以上の距離を旅した。しかし、それでも彼の冒険心は一向に満たされず、ジェイソンはサハラ砂漠をラクダに乗って横断し、その後はニュージーランド政府で、シートベルトのテストのために車で煉瓦の壁に衝突する仕事を始めた。 ジェイソンは世界で初めて大西洋を気球で渡ろうと試みたが、途中で墜落してしまった。しかし彼は典型的な気球の下に付いている籠の代わりに小さなボート取り付けていたお陰で何とか命拾いし、救助されるまで何日も大西洋を漂った。 その後彼はハリウッドで、「アパッチ・エージェント」という映画のエキストラや、ジェロニモ役のスタントを務め一躍有名になった。彼はオーディ・マーフィーの全ての映画にスタントマンとして出演した。彼のアドベンチャーは 20年も続いたが、その後にこれまでのいかなる冒険よりも過酷な試練と向き合うことになる。末期の癌による死の恐怖だった。 1977年、ジェイソンの首に癌による大きな腫瘍ができた。通常の癌治療では大した効果が見られず、彼は死の準備をするようにと言われた。 しかしジェイソンは人生を諦めなかった。彼は代替医療や自然治癒について調べるようになった。そして 3つの別々の大陸で何百年も癌と戦うために用いられてきたという特別なハーブがあるということを発見した。 これらのハーブは個別にはジェイソンの病に対してあまり効果が無かったが、3つのハーブを一緒に混ぜて煎じて(クラシック・ブレンド・ティーとして知られている)みると、何と腫瘍が一回りも小さくなった。ジェイソン卿は見事回復し、今日も健康を保っている。 これら特別なーハーブとそれを含むお茶の発見以来、ジェイソンは数々の本を書き、また世界中の人々の前で講演を依頼されるようになった。大統領、総理大臣、連邦議会議員といった人々が彼の元を訪れ、家族の健康問題について相談することもあった。テレビやラジオを通じてジェイソンは何百万人もの人々に向け、代替医療についての彼の考えを伝えた。 ジェイソンは米国を含む 7ヶ国の政府から賞を受賞した。彼の健康の分野における功績により、1985年にはマルタでナイト爵を授かった。更にマドリッドでは名誉勲章を、ベルギー、オランダ、南アフリカでは名誉賞を授かった。 また米国連邦議会のジェームズ H. ビルブレイ議員とリチャードA. ゲファート議員からも表彰された。 今日、ジェイソン・ウィンターズ卿製品は世界中の人々を助けている。「ジェイソン・ウィンターズ・ストーリー」と彼の調合したハーブが紹介された全ての国々で、ジェイソンのことが話題となり、そして多くの人々に愛されたのだ。彼の製品は 70ヶ国以上の国々で販売され、世界中の人々に愛用されている。 彼のまごころ、知識、そして思いやりが、多くの病んだ魂や失われた心を癒し続けている。
ジェイソン・ウィンターズ – 略歴
- 1977年、末期癌になり、余命 3ヶ月と宣告される。
- 世界中の聖書のような書物に登場するハーブを発見する。
- 英国皇太子殿下とカンタベリーの大司教の助けにより、完全に回復する。
- 奇跡の生還により、彼は世界中で有名となる。
- 著名な医者達に支持されるようになる。
- アメリカの他、6ヶ国の政府から表彰される。
- マルタで旗手儀式によりナイト爵を授かる。
- 日本の中曽根首相と対談し厚生省の認可を受ける。
- パラマウント・ピクチャーの「目撃者」というテレビ番組に特集される。
- ジェイソン・ウィンターズ卿の本が 1300万部以上を売り上げる。
- 彼の製品が 70ヶ国以上の国々で販売され、世界中の人々に愛用されるようになる。
- 66歳の時に、ジェイソン・ウィンターズ卿はインドのゴールデン・ライオン・フォーミュラを発見し、今では 2人の男の子の父親となる。
- 世界中から何千通もの体験者の喜びの声が届く。
- 世界中で何百万もの人々に向け、ラジオやテレビ出演、講演を行う。毎年、世界中の何千もの人々がシンガポール・トレード・センターや、マレーシア、タイ、インドネシアなどのホール彼の刺激的なスピーチを聞きに集まる。